「大いなるわかりようのない世界に抱かれて遊ぶような生き方をしたい」
敬愛する横田南嶺さんの言葉。
また鈴木大拙さん曰く、
「世界を分けていくことが知識の始まり。
主と客から分ける。自分と他者、心と物、天と地、陰と陽など、
すべて分けることが知性であり、主客の分別から知識が成立するのだ。
一方、分けると、分けられたものの間に争いが起こる。
制するか制されるかの、二元的な力の世界がそこから開ける。」
人は、〇〇すべき、といった観念に囚われます。
すべきという考えも、分ける心から生まれていると思うのです。
分ける心が、自分も他者も縛ったり抑圧する鎖となってしまう。
僕らは、
分からない他者、分からない世界に、
包まれているのが気持ち悪くて、
早く落ち着きたくて、
「分けて」考えてしまうのでしょうね。
だけど時には、
「大いなるわかりようのない世界に抱かれて遊ぶように」
ゆったりと生きませんか
分からなくてもしゃーない
ええやないか、と