自分の器を広げるためには、今まで自分になかったもの受け容れることだ。
仲間との今日の振り返りを終えて、思ったこと。
自分になかったものには2種類ある。快いものと違和感を覚えるもの。
快いものは「それいいねぇ、自分になかったアイディアや気づきだ」と言うもの。
だけど、自分の器を広げるには「違和感をどれだけ取り入れられるか」だと感じる。
違和感の取り入れ方は異文化と接するのが手っ取り早い。
僕の場合はブラジルへ住んだ時だった。日常でいろんな違和感の発見がある。
「なんで長蛇の列のレジ待ちで、店員と客がペチャクチャ喋るのかなぁ」
「なんで日本みたいに計画を立てて筋道描いてきっちり仕事やらないのかな」
「なんでBarの外に立って男だけで何時間もお話しできるのかな」
普段の生活の中でも、自分のステレオタイプな考えを揺さぶられる。
自分の当たり前を揺さぶられ、まぁこれも悪くないと受け容れられるようになってから、
異国の生活は愉しめるようになる。
そして、ブラジル人化が進んで彼らとも仲良くなれた。
日本では、同じ人種の顔をした人が多いので「これはわかってるだろう」と
『当たり前を共有できてる』気になっていることが多い。
ポイントは「気になっている」だ。
そう思い込んでいるが、あなたの当たり前は人とは違う、日本だって多様性はたくさん
あるけど、気づこうとしていないんだ。あなたの当たり前を人に強いることで、
それが窮屈にさせていると思うんだ。
色んな当たり前があるんだよ。
「あなたの当たり前の考え方は好きじゃないけど、まぁそれがあることを認めるよ。
あなたの考えは嫌いだけど、あなたの存在は嫌いにならないよ」。
そう、ありたいなと思う。