読書ノート、哲学科教授の納富信留著「対話の技術」より抜粋
言葉とはどういうものか、私たち人間はなぜ言葉を発するのかと言う問題です。
対話と言う問題を哲学から見るとどうなるのでしょうか。
3つのポイントがあります。
言葉は伝達の道具ではなく思考そのものだと言うこと、言葉は現実を形作ること、
そして、言葉は相手に発することで成り立つことです。
私たちは通常、心の中にある考えを、言葉と言う手段で相手に伝えると思っています。
しかし、その見方は言葉の本性を捉え損なっています。まず、考えがあってそれを言葉に
して運ぶのではなく、私たちはそもそも言葉で考えているのです。
言葉はたんに何かを写し取ったり、記述して情報を伝えたりするものではありません。
言葉は現実を作り、変えていきます。もっと言うと、言葉を語る人、語られた相手の
あり方を変えていくものです。
典型的には、「私はあなたが好きです」や「結婚しましょう」といった発言は、
単に私の心のあり方を表示するのではなく、この発言によって2人の現実を新たに作る
行為なのです。哲学で「言語行為(スピーチ・アクト)」と呼ばれる語りの遂行は、決して
特殊な言葉のあり方ではありません。正しい人、信頼できる人、人のあり方は、自分と
他者がどう言葉を語っていくかで形作られるはずです。
言葉は最初から対話的なものだと言えるでしょう。
私1人だけの言葉と言うものは、実は存在しません。つまり、言葉は語り聞くという
相互的なものとして成り立っているので、言葉があるから対話が成り立つのではなく、
そもそも言葉が対話的だと言えるのです。
つまり、思考は、言葉を自分の内に向けて発する二次的な対話なのです。
相手に向けるのではない言葉、なにかを作り出すことを目指さない言葉は、言葉の役割を
果たす事はありません。