仲間との振り返りを終えて想う「分けること」。
ぼくの根っこにあるのは「どちらでもいいじゃん」という、皆んな違ってそれでいい、
僕はぼくで生きたい、というある意味、自分だけの領域路線。
ただ同時に、他者と重なる領域も求めている。
お互いが交わる分かち合いがあると、人は幸せを感じられる。
人は他者と同じ想い・同感を抱けると、幸せを感じると思う。
究極的には自分が思い描いていることをそのままのイメージで、他者にも理解されたいと
いう願いがあるだろうが、そのような同感は無理なことだ。
ぼくの中には、自分の生きる領域をキープしたい想いと、他者とも分かち合う重なる領域
の、どちらも求める気持ちが内在する。分かち合うためには、自分と他者のどこが共鳴し
共感するか、その境界線を感じられることだろう。分かち合うためには、その共鳴ゾーン
を確かめるために「分ける」ということも伴ってくる。
ぼくは、分けることに対する恐れがあるのかもしれない。
分けることには痛みを伴うからだ。分けてしまうと、私とあなたは共鳴しないことが
ハッキリするかもしれない。そしてあなたと、分かち合うことができないからかも
しれない。それを知りたくないから曖昧なグレーゾーンのままでいたいのかも知れない。
でもときには、前に進むためには分けていく、境界線を知る、そしてお互いが交わるもの
をはっきりさせて前進する勇気も、必要なのかもしれない。