覚悟
昨日、まだ覚悟が定まってないなぁと思った。
頭でわかっていても、身体で体現できていないのはまだ本物で無い。
「我に執着している」と、信頼を寄せる人より私のあり方を指摘されたのだ。
覚悟といっても「決死の覚悟」のような勇ましいものでは無く、
静かに心の中に定まっている、座っている、そういったものを形づくりたい。
覚悟を広辞苑では、
一番に仏教語として「迷いを去り、道理をさとること」、二番目に「知ること」、
三番目が「記憶すること。暗誦すること」、四番目に「心に待ち設けること。
心がまえ」、五番目に「あきらめること。観念すること」と言う。
人生の最終局面では仏教語で言う迷いを去りたい。
当面の課題は、四番目五番目ができてないな。
特に「あきらめること、観念すること」に、そうかぁと感じる。
何を諦めろと言うのだろうか?
僕の場合は「俺が」と言う、我を通すことかもしれない。
「観念せよっ」と太刀を突きつけられた時に、
「人生これまで、悔いなし」とじたばたしない感じだろうか。
いざ死ぬ間際になってジタバタしないためには、
日々から有り様を磨いておかないと、観念できないのかも知れない。
覚悟。忘れないよう、時々思い起こそう。