カオスの縁
先日コミュニティーの勉強会で「カオスの縁」と言う言葉が出た。
機械論から生命論パラダイムへの変化。
大量生産の時代、因果関係が明らかで正解がわかりやすい時代の機械論。
一方、物事が複雑で問題自体が曖昧な時代での、有機的なつながりが広がる生命論。
どうしたら、一人ひとりが自分を生きる形で有機的に繋がれるだろう、
そんな主体性を持った人が集まる、生命のようなコミュニティーはどんな形だろう、
そんな話がなされた。その中で出てきた言葉が「カオスの縁」。
機械論の時代は因果がわかりやすく物事の境界線がハッキリしやすいが、
混沌とした曖昧なカオスは求められない。ただ命が命を生む森羅万象の世界、
そこではわからないことだらけ、つながりがつながりを生む複雑系の世界。
それが生命論でカオス状態。
両方の世界をつなぐカオスの縁、その中に僕らは立っている。
新しいコミュニティーを生むには、カオスの縁を、曖昧さも、わかりあえなさも
愉しむ心。そんなふうに受け取った。
また面白いなと思ったのが、
コミュニティーオーナーは「おじいちゃんおばあちゃんの視点」。
愛ある祖父母は長い目線で、吸いも甘いも含めて、孫たちが育っていくのを
温かく見守る。そんな長期目線のコミュニティーオーナーがいると、
メンバーがいきいきと連鎖を起こして自己増殖していくと。
やはり「愛」だよな、大切なのは。
組織に愛を、愛があれば人はその組織に愛着と活力を見出すよなぁ、そう感じました。