こにたん、組織開発の日々

2022年4月より組織開発を生業に。始める前から天職の確信

信じる勇気

 

エーリッヒフロムの「愛するということ」より、背中を押される言葉

 

自分自身を信じているものだけが、他人に対して誠実になれる。

なぜなら、自分に信念を持っているものだけが、自分は将来も現在と同じだろう。

したがって、自分が予想している通りに感じ行動するだろう、という確信を持てる

からだ。自分自身に対する信念は、他人に対して約束ができるための必須条件である。

そして、ニーチェが言ったように、約束できると言うことが、人間の最大の特徴である

から、信念は、人間が生きていくための前提条件の1つである。

 

愛に関していえば重要なのは、自分自身の愛に対する信念である。

つまり、自分の愛は、信頼に値するものであり、他人の中に愛を生むことができる、と

信じることである。

信念を持つには、勇気が要る。

勇気とは、あえて危険を犯す能力であり、苦痛や失望をも受け入れる覚悟である。

安全と安定こそが、人生の第一条件だと言う人は、信念を持つことはできない。

防御システムを作り上げ、その中に閉じこもり、他人と距離を置き、自分の所有物に

しがみつくことによって、安全を図ろうという人は、自分で自分を囚人にしてしまう

ようなものだ。

 

愛されるには、そして愛するには、勇気が必要だ。

これが一番大事なものだと判断し、思い切ってジャンプし、その価値にすべてを賭ける

勇気である。

 

 

かたちとは何か

追悼。6/22に没した野見山 曉治さんの言葉が響いた。

ぐわっとした力、それはその人固有の内面で感じて掴み取る力。

本質を自分の身体で掴み取りたい、そこから洞察力は磨かれる

 

 

かたちとはなにか
具象性は人にわからせるための大事な道具だと思う。

具象性があれば非常に説明しやすい。

富士山もそれらしい形を書けば富士山とすぐわかる。

でもいかにもそういう形をとっても富士山じゃないんです。

と言うのは、本当の富士山は空に向かって圧倒するような力を持っている。

ぐんぐん広い空間におさまってきている、その大きさ、存在感、強さが出なければ、

それは単に山の模型になるんです。

 

その強さや迫力、宇宙に対してぐわっとした存在感が出てきたら、
その時にそれは富士山であろうともなかろうと構わない、
誰も富士山とは違うよとは言わない。


うわっと驚く。世に言う形なんてどうだってよくなる。

それが本当の形なんだ。

 

 

記憶に残りたい

 

月1のコーチングセッションでコーチから

「将来何を成し遂げたいですか?」と問われた。

自分の中からすぐに言葉が出てきた。

「Doing何を成し遂げたかというよりも、人の心に記憶されたい」。


翌日になって思うのは、記憶に残りたいと思う方が欲張りなのかもしれない。

どう記憶に残りたいのかというと、あいつは人生を主体的に生きたやつだと思われたい。

そして、僕と一緒に学び仕事をした周囲の人たちが、「あの時代は、私たちが生き生きと

して、自分たちを生きていた」、そんな風に後から思い出してくれたら本望かなぁ。

 

自分自身を生きる、それは僕にとってのテーマだ。

自分自身を生きるためには、置かれた環境や他人のせいにするのではなく、

すべて起こることを自分自身に矢印を向けて、生きていく姿勢が大切だ。

 

戒めの心を持っていても、自分に矢印をは難しい。

ときには人に期待し要求し、人に頼る弱い心が出てしまう。全てを引き受けられるのか。

 

チームとしての器を大きくしたい、その中で僕は自由に伸び縮みしながら、

みんなと共に「私たちを生きる」姿勢の体現者でありたい。

 

 

壊れないよ


仲間との振り返りで気づかされた。

言葉にすること、言葉に出して伝えること、そこには2段階の勇気がいる。

 

1つ目は自分に向き合う勇気。

内面を見つめ想いを形にする言語化、言葉にすることで自分を直視する勇気がある。

 

2つ目は、他者と交わる勇気。

交わり分かち合い支え合う、言葉を交わすことでそこへ行く勇気。
人は関係性の中で、常に不安を抱えているという。

言葉にすると望まない変化が生じるかもしれないと感ずると、口をつぐんでしまう。

 

言葉にして伝えることで、相手を傷つけてしまうかも、こんな自分をと思われてしまう

かも、その人の荷物を背負うことの怖さ。いろいろな思いがあり、相手との関係性が

変わることへの恐れがあると、境界線を踏み越えられず口をつぐむ。

 

ぼくはそんな両者すくみ合いの関係性を解したい、本音で語れるように踏み込みたい。

だけどそれは、ぼくの片思いの願い。いつかはあなたと本音で語れる関係性になれる、

そのためにぼくはあなたの言葉を常に受けとれる自分であるから。

何を言われても2人の関係性は壊れないから大丈夫。

そう体現して生きていきたい。

 

 

小さく小さく生きる

読書感想文 月間致知6月号

102歳の巨匠 いま、この時を生きる

画家 野見山暁治さん

 

出征した満州で、一面寒々として凍りついた、灰色で全く色のない世界の中に、

地面に滲んでいる赤い色を見つけた。

 

この描写を読んだときに、なぜか読む眼が止まった。

読み進めることなく、何だろうって想像を巡らせた。

 

その先を読むと、赤色の上にかぶさった氷を靴の先で削り落としたら、

みかんの皮が出てきたのだという。そして野見山さんはそのみかんを手に取って、

「世の中には色というものがあったんだ」と震えたのだと。

 

そこから思いを巡らせた。なぜこのエピソードに惹かれたのかなあと思った時に、

ブラジルから帰国後の人生を迷った4年間を思い出した。

これからの生きかたが分からずに、いつまで経ってもトンネルの出口が見えずもがいて

いた。その時には黒々とした中にいる気がして、豊かな色を感じられていなかった。

 

野見山さんが見つけたミカンの皮の色、僕にとって色となったのは人の心の豊かさだった

のかもしれない。どんな人も力強い心を持っている、その美しさに気づいた頃から、

世の中に色を感じられる心を取り戻せた。

 

野見山さんの言葉にぎゅっと胸を締め付けられた「小さく小さく生きていくものだ」。

人間が死に直面したときに思うのは、有名になろうとか大きなことをしようという思い

ではなく、目の前の何気ない出来事や人とのつながりを慈しみながら、小さく小さく

生きるものだと。

 

目の前を懸命に生きる、小さく生きてることで素晴らしいんだよと、

大きく背中を押された気がする。ありがたい。

 

 

能動的な力

 

エーリッヒ・フロム、「愛するということ」の"愛の理論"より構成

 

どの時代のどの社会においても、人間は同じ1つの問題の解決に迫られている。

いかに孤立を克服するか、いかに合一を達成するか、いかに個人的な生活を超越して、

他者との一体化を得るか、という問題である。

 

愛は、人間の中にある能動的な力である。

人を、他の人々から隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。

 

愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、

自分の全体性を失わない。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、

愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。

 

あらゆる形の愛に共通して、必ずいくつかの基本的な要素が見られるという事実にも

愛の能動的性質があらわれている。その要素とは、配慮、責任、尊敬、知である。

 

生産的活動で得られる一体感は、人間同士の一体感ではない。

祝祭的な融合から得られる一体感は一時的である。

集団への同調によって得られる一体感は偽りの一体感に過ぎない。

 

完全な答えは、人間どうしの一体化、他者との融合、すなわち愛にある。

 

 

俺らのハウス

 

30年近く前になる、僕らが知り合ったのは。

そして10年以上ぶりに再会しお互いに姿恰好は変わったけど、目つきはそのままだった。

 

バイト時代の店長に会いに仙台へ行った。当時の先輩後輩と一緒に店長のお店へ。

昔はおしゃれな気取ったカフェバー&レストランで働いていたぼくらは、

あの頃は20代だった。

 

集まったのは店長の居酒屋「俺らのハウス」。

店長、これは一見さんは入れない敷居の高い店だなぁ〜、笑。

 

そんな店だからこそ仲間が集まるにはふさわしい。

店名の由来は憂歌団のヴォーカリスト木村充揮の歌。ライブを店でやったこともあるそう

で、アルバムジャケットデザインをお店の看板にも使ってる、すげ〜な。

 

俺らのハウスの歌詞

「お日さん上って明るくなって、暗くなったらお月さん、そんなところがオイラの

ハウス。そんな男と女のハウス、そんな星がオイラのハウス」。

 

賑やかな曲調と力の抜けた歌詞が店長らしい。

店長の人柄のおかげさまでみんなが集まれましたよ。

みんな大切な人です、ありがとうございます。