寄り沿う
昨夜は仲間と「支援のあり方」について談義。
人と組織を応援するサポーターが僕ら人事の仕事。
支援する側の寄り添い方を考えさせられた。
困っている現場の人たちの問題を解決する支援をしたい。
想いの起点は同じであっても、問題解決策を提案し実行していく中で、相手方と支援者の
間で望ましい関係性が保たれているのだろうか、を酒を酌み交わしながら話していた。
顧客は問題を早く解決したい。支援側も専門家としてその声に応えたい。
早くわかりやすい処方箋を欲しい、専門家として提案して欲しい。
顧客のそういった声に応えていくことで逆に、相手の主体性や考える力を失わせて
支配的、従属的な関係性に陥っていないだろうか。
そんな談義をした後に見た、NHKのYouTubeに心動かされた。
ある介護施設の話。そこでは施設のルールに入居者が従うのではなく、一人ひとりの
生き方に寄り沿った支援をしていた。施設を立ち上げた人曰く、「寄り添うっていうのは
なんか共感や意味がちょっとついてきそうでしょ。意味があるから一緒に歩くわけじゃ
ないし、共感しているから歩くわけでもない。」
僕らの支援は、職場で同じ景色を見ましょう、一緒に共感や意味を作りましょう、
そう言って相互理解を進めようとしている。意味を共有するために相手へ寄り添い
ましょう、と話している。この施設と僕らの寄り添い方の違いは大きい。
また「寄り沿い」と「寄り添い」の違いも施設の方は話されていた。
「川に沿って歩くとかいう"沿う"の方が多分近いんですよね」。
尊厳を持って人が生きることを、さりげなく、でも本当に大切に寄り沿っていると
感じた施設の方の言葉。
「その人が必死に歩こうとしているし、そこの辿り着く先が、たとえあなたの思うような辿り着く先じゃないことを我々がわかっていても、一緒にさまよう」
支援者のあり方、自分に問い続けていきます。