こにたん、組織開発の日々

2022年4月より組織開発を生業に。始める前から天職の確信

自分に気づくことから

 

「やっぱり私だめだわ」と、失敗した自分に安堵する。

 

そんな話を聞いて過去の自分にもあったと気付いた。

その当時の自分は、天邪鬼だし、職場の仲間を斜めの目で見ていた。他者を見る目に信頼

は入っていなかった。上司は自分を応援してくれる人ではなく分析批評する評価者。

同僚は自分たちが昇進したいからと媚びへつらう人たち、そんな風に見えていた。

 

その頃は、自分は評価されず不遇であり、チャレンジしてもうまくいかず失敗する、

そう思っていた。自分に自信をなくしていた、できない言い訳を「また、うまく行かない

さ」と思っていた。

 

友が紹介してくれた文章でうなづいた、『うまくいかなかったとき「やっぱり駄目だった

わ」と、失敗に安堵してしまうことってあるでしょう。自分はそれには値しない人間だと

外から承認してもらえたような、小さな小さな興奮が生まれる瞬間』。

また、『毎度毎度同じところに突っ込んでいって、幸せにはなれないことを他者に証明

してもらい、ボロボロになりながら「やっぱりね」と変に納得した顔で帰ってくる』。

 

嗚呼そうだった。

未来の自分に失望する、その結果を予見して先回りして、だめな自分を前提にしておく。

予防線を張っていた自分。「私なんかが」と自分を低く見積もって生きていると、失敗に

対する耐性は身につく。だけどそれはね、失敗する自分の身を守るために、処世術として

マジックワードだったのだ。今になってわかる。

 

その呪縛とも言える「私なんかが」から解き放たれるには、何が必要なのだろうか。

それは、「囚われている自分」に気づくこと。

 

失敗するために自分は生まれてきたのだろうか、失敗し続けることで自分は本当に満足

なんだろうか、本当の自分の望みは何なのか。

囚われている自分に気づくには、矢印を己に向けて、問い続けていくしかない。

 

僕にとってそのきっかけを与えてくれたのがコーチングだった。

自分も他者にも、「人の可能性を信じること」から物語が始まることを、気づかせて

くれたのだ。