3つの矢印
人間理解には3つの矢印があろう。
ひとつは自分に対する矢印の"内省"、ふたつめは他者に対する矢印の"観察"、
3つ目は人と人との間の矢印の"対比"。
ふたつめと3つ目の矢印をどう捉えるかが、ぼくの人間理解の課題だ。
他者を観察する際に、どれだけ相手の中に入っていけるか。
できれば相手の中にすぽんっと入って、その人の目玉を通じて世界を観るように、
なりたい。
相手の人そのものを感じようとする際には、自分の思考や価値観から手離れしたい。
他者を理解しようとする際に役立つのが、"対比"の視点だ。
自分と他者との比較、他者同士の比較。
共通点と相違点、それを行ったり来たりしながら、自分と相手と、人同士が様々である
ことを知りたい。
もやもやとした、まだ言葉にならない思い。
自分に対しても他者に対しても、理解がおぼつかない思いがある。
そういった時でも、何とかひねり出してでも、自分の思いをいったん言葉に置いてみる。
言葉にしようと試みることが、"仮説"の設定。
人間理解を進めるために、まずは仮説を置いてみる。
それは「私が、あなたが、なぜその言動をするのだろうか。それは世界をこう捉えている
のではないか?」。
人がかけている認知の色眼鏡を仮説として置き、そこから人を観察してみるのだ。
その人らしさに気づく、そのためには自分の想いをいったん言葉にしておく。
言葉にすることから始まり、そして意識の中に留まり、人間理解が深まっていくのだ。