皆んなで背負う
人は共感する生き物だ。
他者と感情的なつながりを持ち、分かち合える体験をした時、心は喜ぶ。
「苦楽を共にする。同じ釜の飯を食った仲間」、
これらの言葉の中には、酸いも甘いも仲間だからこその共感を経てつくられる想いが、
込められていると思う。
「心理的安全性」、世の中に広がって一般的になった言葉ではあるが、どうやって心理的
安全性が作られるか腹落ちしていない現場は多いだろう。私の所属する人事部門でも、
人に心理的安全性の大切さを伝えながらも、自部署にはそれが薄いと言う人もいる。
簡単ではないのだ。
心理的安全性のある職場づくりに、僕はまず、自分に耳が痛いことでも聴く姿勢を持つ、
広くみんなの声を聞けるようでありたい、そう思っている。
だけど、人が本当に思っていることを話してくれるかと言うのもまた難しい。
自分が心を開いているからといって対等な立場でいると思っていたとしても、相手からは
見えない壁があったりする。僕はぺいぺいの平社員だがそれでも歳を食っているからか、
若い人からすると「こんなことまで言って良いのだろうか」と言う壁もあるようだ。
また自分はちっぽけな人間だと思っているのだけど、相手から見ると立派な人と感じる
こともあるようで、笑
老いも若きも男も女も関係なく、同じ時代を歩く仲間。
みんないろいろ大変だけど、ひとりで荷物を背負うのでなく、みんなで背負おうよ。
そのためにチームで知恵を出そうよ。そうやって苦楽を共にしようと歩むことで、
心理的安全性が作られるのかなと感じている。
昔も今も変わらない、同じ釜の仲間なのだ。