心配り
今朝走っていたら、お寺の境内に張り出されていた言葉
「すぐに芽を出す心配の種 なかなか育たぬ喜びの種」
そうだねー、わからない未来に対してくよくよと心配を感じたりする。
ハタと感じた。心配は自分に対してで無く、他者に対する「心配り」として捉え直したら
良いんじゃないかと。
昨夜は勉強会で「わたしにとっての幸せ」をテーマに、登壇者また参加者みんなで
対話した。感じる幸せは、人それぞれ違うことが面白かったし、また幸せであることを
阻害する要因も千差万別、幸せの形は様々だけど、共通することがあるなと感じた。
一文で表すと「幸せは他者と共にあり、制約は自分の中に」。
結局幸せって、自分ひとりでは得られないものだと思う。
そしてまた、幸せになるのに制約条件があるとしても、それは自分の心の中にある。
ブレーキであり囚われであり前に進む力不足だったりする。
制約条件って、結局は自分の問題なのだと思う。
登壇者に「ZOOMオンライン革命」を出した田原真人さんもいらしてて、面白かったのが
「その時の自分のフレームを壊してカオスに浸かることで進んできた。
清水の舞台ハードル走をやり続けている」。
田原さんの様に突き抜けられないけど、常に自分の枠組みを超えていく、チャレンジして
いくその気構えは大切だと思う。
さて冒頭の、心配は心配りと捉え直したほうが良いって話し。
それは、幸せは他者と共に感じるもの。くよくよと自分に矢印を向けて心配するよりも、
他者に対する心配りで幸せに近づいたほうがいいな。
どうせ気を回すなら、そちらの心配がいいなと感じました。
台風一過の青空回復。今日も素敵な一日を♪