豊かなものに包まれてる
『僕たちは24時間ほとんど音に囲まれて生きていますけれども、
生存にあまり必要のない音は無視している。
ゴーって音も通りの音も同等の存在理由があって、それは人間が勝手にいいとか悪いと
か決めている。それはやめて公平に音を聞いたほうがいい。
そういう態度をとって音に接すると、いかに普段自分というものが固定化された
フィルターによって檻に閉じ込められているかということが見えてくる』。
坂本龍一の追悼番組で彼が語った言葉だ。
雨の音や、竹林を抜ける風の音、そういった自然の豊かな音に自分の音を足して音楽を
つくっていた晩年の映像だった。
ぼくらの日常には豊かなものがあふれている。
慌ただしい日常の中では意識しないと、そんな音や光たちを感じることができない
けれど、気づかないだけで豊かなものに包まれているのだ。
特別な事はなくても、些細な日常の中に芳醇さを感じられる心。
感じる心を、立ち止まって取り戻したい。
そんな感じる力がないと、自分だけの認識の枠組みの世界の中で慌ただしく日々を
過ごしているのかもしれない。それが檻なのだろう。
日常が檻であるのか、豊かなものを感じられる自由があるのか、
それは自分の内と外に耳を澄ませる心持ち次第なのだろう。