未来に不真面目
この4月は仲間との振り返りはせず立ち止まる月間とした。
慌ただしい日常の中で、あえて意識的に動かない時間をつくること。
立ち止まらないと聴こえない内側の声がある。
仲間との振り返りは、週一に必ず自分に矢印を向けるための仕掛け。
ひとりでは向き合えない時がある。それは自分に対する甘えや言い訳であったり、
向き合うことに不安や恐れがあるから。
ひとりでは流されて止まれない。
そこで仲間の力を借りて一緒に止まり、そして振り返る。
ただ本当に今、自分に向き合いたいのだろうか、振り返る意味は何だろうか、
それを自他ともに見つめ直すために4月は立ち止まった。
このブログも毎日書くことが義務ではなく、自分を見つめた結果湧き上がったものを、
マイペースで綴っていくだけ。誰のためでもなく自分のために書いていく。
立ち止まって、自分を見つめられるようになれたのは、今の自分でいて良いのだと思える
ようになったからだ。過去の自分は、未来に対して漠たる不安があった。
不安を解消するために、何か動いていないと、何か学んでいないと、何か看板をつけて
いないと。
それは裸の自分では認められない存在意義がないのではと、自分の価値を軽んじていた
からだろう。「価値」、それ自体も疑ってみたら良い。
誰にとっての価値?あなたの期待を満たすために私は生きているわけでは無い。
いまの私の興味関心の赴くままに、純粋意欲の湧く方向へ、自分を連れていけば良い。
自ずと未来は拓けていくだろう。
真面目に見えない未来を不安がるより、未来を考えない不真面目で良い。
今を生きよう。