昨夜、仲間とのイベント企画会議は、生成的な場だった。
イベントでの対話の場を「温泉」のメタファーを使って表現してから、一気に企画が形を
現し出し、まとまっていくプロセスは創造的だった。
生成を辞書で引くと、「ものが生じて形を現すこと。また、ものを(まとまった形に)
生ずること」。組織開発で著名な埼玉大学の宇田川先生の言葉では、「生成的イメージ
とは、我々が持っていた文脈と異なるメタファーを持ち込むことによって、これまで見え
ていなかった部分が表出されること」。我々のケースでは温泉というメタファーが加わり
この現象が生まれたのだと、後から分かった。
生成的とは「見えていないものを見えるようにする」ことだとも言う。
宇田川先生は言う、「今まで当たり前だと思っていたものに、別の枠組があてはめられた
ときに、新しい意味が形成されます。これが「生成的である」ということです」。
このような新しい意味づけが、対話で生まれる場はクリエイティブでワクワクする。
昨夜は特に、対話して温泉と言うメタファーを入れながら、さらにグラフィックで
描いてくれる人がいて、我々のイマジネーションはバリバリ立ち上がった。
見えていなかったものが、対話を通じて、それぞれの人の心象風景に生まれた。
そして、それがグラフィックとして形をなし共通の景色としてみんなの前に提示されて
いく。嗚呼、生きている対話だ。生成的な場をみんなで創った喜びの場だった。