あちらこちらの壁
人の間にはいろいろな種類の壁がある。
共に生きる、分かち合いたい、思いを同じくしたい、そう思いながらも人は同じではない
ので、思いの重なるところ違う所がある。
境界線が、人の間を分断する壁となるのか、曖昧さを残しそのうち交わりたくなる境目と
なるのか、そんなことを考えさせられた昨夜のコミュニティ運営会議だった。
例えば、価値の創造者と価値の受益者にある壁。
僕らが生きている資本主義社会には、商品サービスを提供する価値の創造者、お金を払う
受益者、ここにはお互いが交わらない壁がある。創造する者と受益する者、お互いが
資本主義社会を回していく補完関係にあるが、その意識の差は鮮明だ。
お金は厄介だ、交わらない壁をつくる元凶ともなる。
原始の狩猟時代、農耕時代、お金の回っていない世界では、皆が共同して価値を創造する
行為主体者であり、共同体の構成員ひとり一人が補完関係にあったのだと思う。
狩りをする者、皮を剥ぎ肉にする者、料理を作る者、食べて喜ぶ者、後片付けをする者、
そこには共に創り分かち合い喜び合う関係性があり、作る者と消費する者という分けた
関係ではなかったのだろう。
経済社会の中で、分けた関係ではなく共につくり合う関係性、その意識をどうつくれるか
はチャレンジだ。人の間に壁ではなく、海と川が交わる河口のように曖昧さを残しながら
人がつながる、そういったあちらこちらを創っていきたい。