主体的に生きる
本当の自分を生きる、ありのままの自分を生きる、
そのように生きる姿勢を主体的であるといえよう。
自分の生きたい道を生きる、その道を貫く際に、障害になるのも力をもらうのも
「他者」であろう。
他者が障害になる場合は、自分に制約を課したり、自分を縛る重しであったり、道を阻む
ものに感じるだろう。一方、力をもらう場合とは、他者から認められ応援され支援され、
自分独りでは辿りつけない遠くへ、また影響の範囲を広げられることだろう。
人は独りでは生きられないことを前提とすると、自分にとって他者は、主体的に生きる
姿勢を奪うものであるのか、力をもらう存在であるのか、どちらであるのか。
このどちらに他者との関係性を見いだせるかは、大きな分岐点となる。
他者の存在を自分のテリトリーに含みながら主体的に生きようとすると、
一言でいうと面倒くささが起きる。
自分1人で決められない、他者の意向を聞かないといけない、お互いが重なり合う領域を
考えなければいけない、そしてお互いの未来を語らないといけない。
自分1人で決められない、ままならないことが増えるのだ。
だけどね、早く自分で1人で行きたいのかい?
それとも、自分独りでは行けない遠くへ高みへ到達したいのかい?
ここを自分に矢印を向けて問いながら、他者と一緒にどのように主体的に生きられる
のか、これを決めていくことで自分らしい選択肢が定まる。
この択一はどちらが正解でもない、人生の分岐点ごとに自ずから定めていくものだろう。