学ぶ先にあるもの
なぜ学ぶのか、ときどき考える。
学びは時に苦しくなる、理解できる範囲を超えて壁に当たる気持ちにもなるから。でも
ままならない現実、目の前の課題に直面してそれを越えていくには、学びが必要になる。
無意識に自分が囚われている思い込みや足を止めるものがある、
目の前の壁を越えていくための経験・スキル・勇気がない場合がある。
そういったときには先人・仲間の力を借りるのだ、学問もその一つ。
昔はそう思わなかったが今は、自分らしく自由に生きるために学ぶことを求めている。
学べば自分の小さな認識の枠組みを知る、と同時に、自分にも潜在的な可能性があること
を思う。学ぶことは自分の成長の可能性を見出していくこと、自分を知り開発していく
ことは生きていくことと同義。よく生きるために学ぶ。
よき学びには他者が必要だ。自分独りで辿りつけない領域があり、人様の力を借りて、
自分をさらに知る。そしてお互いに高みを目指して、学びの探求を深める。
昨日学びの仲間に「学ぶ先に何が見えてきたか」を聴いた、
彼の骨太の言葉に勇気をもらえた。
「学びは人生の真実を見つけていくこと、人間本来の生きかた在りかたは何だろう。
そして学びによって、過去の自分を知り未来の自分への参考になる。
この学びに巡り会えたなぁと世の中が良くなる期待を持つ」。
自分らしく前へ進む勇気を得られる、それが真の学びの効能だ。