オリジナルな強み
仲間との振り返りで教えてもらった言葉。
ピータードラッカーの「私的な強みは公益となる」。
その人オリジナルの強みが全体の為にもなるということ。
学んでいる成人発達理論で気づかされたことがあった。
「Biosocial Bans-われわれは、社会に適応しようとしているうちに自分の心や身体が、
一定の方向に調教させられてしまうプロセスがある」という。学校教育、企業内教育
いずれも然りだ。真の意味で個人がアイデンティティを円熟させていくには、我々の存在
に刻み込まれている"調教の足跡"から自由になっていくことが必要だと。
バブル期にあった「24時間戦えますか」のコマーシャル。
それが批判なく受け止められてしまう社会があった。今となっては笑うかもしれないが、
同じように当たり前とされていて、知らず知らずに自分を縛っている社会通念、無自覚に
受け入れているものがあるかもしれない。
例えば「人の機能性(能力)が個人の存在価値を決めるという考えかた」。
学校教育から社会人にまである、能力は開発されなければならないもの。能力によって
人の優劣を測り、成果・結果を出すために能力を伸ばさなければいけないという発想。
これが全てに当てはまる正解で無いと理解されてれば良いのだが、これが絶対解になって
いる世の風潮があるだろう。この考えの下では、能力を伸ばさないと個人の存在価値が
無いようになってしまう。
能力いかんにかかわらず、人がそこにあるという「存在価値」で認められて欲しい。
下手に能力開発されなくても、私もあなたも自分らしいオリジナリティーがあり、
そこを伸ばせば必ず強みになる。そしてそれが世の為にもなる。
そう信じて人に関わりたい。