授かりの命
「不惜身命 但惜身命」 月刊致知5月号巻頭
授かりの生命。
生まれたくてきたわけじゃないと、親に毒づいた反抗期の頃の自分を思い出した。
自分が大いなるものから命を授けられた、
そのようにちょっとは思えるようになってきた。
授かっていると思えれば頭を垂れる気持ちになれる。
90歳の禅の高僧青山さんは大きな病に襲われながら、「生命は仏さま、
病気はお医者さまにお任せ、授かりの命の限りを報恩と誓願に生きたい」と言う。
自分の身を大いなるものに預ける気持ちで、道を一心不乱に突き詰めていく。
その生き方の中には、自分のために生きるというちっぽけなものは無いのだろう。
大いなるもののために生きることで、ちっぽけな自分の身を他人に預けられるのだろう。
無我夢中で自分の身体と脳みそをフルパワーで動かせられると、生きている充足感を
感じられる。そしてそんな夢中になったことを人様と分かち合えれば、歓びは倍増する。
ぼくは仲間と歓びを分かち合うために無我夢中になりたい。
分かち合えることで、共に未来を拓いている実感を得たい。
そして人様のお役にたてる私たちであれることで、生きる歓びを味わい尽くしたい。
全力で生きている歓びを味わうのは、一生懸命に働く事でしか得られないのだろう。
働けるからこそ人様のお役に立てる。
大いなるもののために、この身この生も惜しまない。
一生懸命働いて、爽やかに生き抜きたい。